勘違いに感謝している
幸福な生活とは何かといえば、冷静にとっくりと考えてみた上で、生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである。
幸福な生活をこんなふうに考えれば、幸せな生活そのものが動機になっているのであって、単に死の恐怖が動機になっているのではない。
されても困る、勘違い
恥ずかしい、自分勝手な勘違い
一番嫌なのが、上からな勘違い
まだ、何も始まってないうちからの、付き合ってます感満載出されたこ、こいつ俺の彼女だ、俺が好きなんだな、俺、このオレが!
的…この酷い勘違いには、流石にドンビイてしまった
不器用な人は嫌いじゃないけど、もう、おじさんと呼ばれる年齢にしてのこの勘違いは、キモさすらも感じてしまった
私の反応が見えなくなると、じたばたして、キレて不貞腐れて、私に攻撃体制をもみせた
まるでメンヘラ女子のよう……
しかし、これには深く感謝している
こんな経験、めったに出来るものじゃなし、
自分本意の自分勝手な独りよがりのイタイ行動の裏に
自分を見た気がしたからだ……
ある意味、鏡面化だ
この行動は、相手に不快感を与える
この行動は、相手をイライラさせる
この行動は、はたからみたら赤面もの、恥ずかしい
この行動は、恋愛なんてもっての外
成就なんて有り得ない行動だ
と、経験を持って感じられたからだ
この行動をとった本人に、出来ることなら教えてあげたい位だが、それをするのは、相手にとっても、私にとっても何らプラスにならない
しかし、この気付きは、今後の恋愛だけでなく
人間関係においても、私にとっては大きなプラスになった
モノに対する価値観が、音をたてて大きく変わったことの大きなきっかけだと実感している
だから、このキモいおじさんには、深く感謝をしている
どうか、このおじさんに、幸福を与えたまえ
そう、願うばかりである